こんにちは、山岡鍼灸院の古瀬です。
「ととのえ日記」第4回は、中学生の頃の自分について少しだけ振り返ってみたいと思います。鍼灸の話とは直接つながらないかもしれませんが、いまの僕の”芯”のようなものをつくってくれた、かけがえのない3年間でした。よかったら、お付き合いください☺️
白球を追いかけた、汗だくの夏
中学生のとき、僕は野球に夢中でした。
出雲の夏は、日差しが容赦なくグラウンドに照りつけます。土ぼこりにまみれて、汗だくになりながら、ただひたすらに白いボールを追いかけていました。練習が終わるころには、ユニフォームは茶色に染まり、靴の中まで砂だらけ。それでも、不思議と「しんどい」より「楽しい」が勝っていたのを覚えています。
振り返ると、なぜあんなにのめり込めたのか自分でも驚くほどです。たぶん、子どもの頃から「気になったことを放っておけない」性格(前回お話しした、おもちゃを片っ端から分解していたあの頃の延長です)が、そのまま野球にもつながっていたのだと思います。「どうやったらもっと打てるんだろう」「この子はなんでこんな速い球が投げられるんだろう」――気になることが次から次へと出てきて、考え始めると止まらない。そんな日々でした。
仲間とぶつかって、わかったこと
もちろん、ずっと楽しい思い出だけではありません。
チームスポーツですから、仲間とぶつかることもありました。練習のやり方ひとつ、ポジションの話ひとつでも、意見が合わないことがある。当時の僕は不器用で、思ったことを上手に伝えられず、もどかしい気持ちになることもしばしばでした。
それでも、「気持ちをひとつにして戦う」という経験を通して、少しずつわかってきたことがあります。人はそれぞれ違う考えを持っていて、違うからこそ、ちゃんと向き合わないと伝わらない。逆にいえば、向き合えば、ちゃんと届くこともある。
この感覚は、いま、施術室で患者さんと向き合うときの土台になっている気がします。
県ベスト3、あと一歩で届かなかった中国大会
目指していたのは、県大会、そしてその先の中国大会でした。
結果は、県ベスト3。中国大会出場には、あと一歩で届きませんでした。
試合のあと、ベンチの裏で声を殺して泣いた日のことは、いまでも鮮明に覚えています。「もっとこうしておけばよかった」「あの場面、自分があそこで打てていたら」――そんな後悔が、ぐるぐると頭をめぐりました。
でも時間が経ってみると、あの悔しさそのものが宝物だったんだなと思うんです。本気で勝ちにいったから、本気で悔しかった。仲間と最後まであきらめずに戦い抜いたから、負けがちゃんと胸に残った。
勝った試合の喜びを分かち合った日も、負けてうつむいた日も、ぜんぶひっくるめて、いまの僕の一部になっています。
体育祭の”色長”を任されて
もうひとつ、忘れられない経験があります。
中学3年生のとき、体育祭で”色長”を任されました。クラスのみんなの先頭に立って、勝ちにいくために声を出し、流れをつくっていく役割です。
正直、最初はとてもしんどかった。クラスの中には、体育祭にあまり乗り気じゃない子もいれば、すごく熱量の高い子もいる。温度差をどうやってそろえていけばいいのか、わからない日もたくさんありました。
では、なぜ引き受けたのか。いま振り返ると、シンプルに「みんなで何かをやり遂げる感じ」が好きだったからだと思います。野球で味わったあの一体感を、教室でも見てみたかったのかもしれません。
少しずつ声をかけて、少しずつ巻き込んで――気づいたら、バラバラだったクラスが、ひとつの方向を向いて走り出していました。みんなで肩を組んで叫んだあの瞬間の空気は、いまも心の奥にあたたかく残っています。
あの頃の僕が、いまの僕を支えている
中学時代の僕は、とことんまっすぐで、不器用で、一生懸命でした。器用に立ち回ることはできなかったけれど、そのぶん「誰かと一緒に何かをやり遂げることの、重みとあたたかさ」を、体ごと知ることができた気がします。
あの3年間が教えてくれたのは、シンプルなことです。
真剣に向き合えば、相手の気持ちにふれられることがある。
これは、いま鍼灸の現場で患者さんと向き合うときに、ずっと大切にしている感覚でもあります。胃腸の不調や自律神経のゆらぎは、お話を伺ってお腹にふれていくなかで、少しずつほどけていく部分があります。そのときに僕が頼りにしているのは、技術はもちろんですが、もうひとつ、中学時代に育ててもらった「ちゃんと向き合う姿勢」のような気がしています。
熱くて、まっすぐで、不器用だったあの頃の僕が、いまの僕をそっと支えてくれている。そんなふうに感じる日があります☺️
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回も、もう少しだけ自分のことや、日々のことを綴っていけたらと思っています🌿
古瀬
